赤ちゃんの匂い

Rika Sawayanagi

飽き性は、いいこと。

 

“飽きる”自分をあきらめる。

 

f:id:chima0528:20200330220213p:plain


自分をあきらめる。ときくと、なんだか自分を低く見積もってしまったような、「この程度で」と妥協して満足してしまった感があるが、そうではない。

 

あれが欲しい。これが欲しい。でも自分にはそんな価値はない。そうあきらめることは、妥協だけれど、私がいう「あきらめる」は、それを自分の特性として「受け入れる」ことだ。

 

例えば私でいったら、飽き性なこと。なにか新しいことを始めても、途中でいやになることなんてしょっちゅう、いや、そればかりだ。

 

勉強を始めても、10分でいやになる。まず机に座っていられない。じっとしていられない。たまにとんでもなく集中力を発揮することもあるけれど(スポーツとか受験とか)基本的に追い込まれないと、そこまでの驚異は生まれない。

 

それを、だめだと思っていた。「中途半端」なんていう言葉、「一貫性がない」なんていうフレーズを、目にするたび耳にするたび、自分を責めた。それじゃいけないんだ、と自分に言い聞かせた。

 

けれど、もうどうしようもなかったのだ。何回続けようとトライしても、いやなものはいや。無理に続けると、段々イライラしてくる。

 

そんなことをくり返しているうちに、見えてきた。私は「飽きてる」んじゃない。やりたくない「波」が来ているだけ。そして、本当にやりたいことは一時的にいやになっても、それをそのまんま放っておくと、またふと、やりたくなる。

 

ああ、だめだったんだ。また続かなかった。と、あきらめなくていい。終わりにしてしまわなくていい。あ、今はもうやりたくないんだ。と、放っておけばいい。すると案外、またやりたい波が来る。その時にまた、やればいいんだ。

 

f:id:chima0528:20200328113154j:plain


そして思う。たくさん飽きるということは、たくさん始めているということだ。10トライしようとするから、8くらいは飽きて、2だけが残る。そもそも、3トライして2残る人とは、トライしている量がちがうんだ。

 

ま、どちらがいいとか悪いとかではなく、好みの問題、なんだけど。私は基本、全部やってみて試してみてから、どれがいいのか判断したい派だから。

 

そう思ったら、ああ自分は、トライしている量が多いだけなんだ。そしていやになってもやめていいんだ。本当に大事なものだけは残るし、また波が来るんだ。

 

そう思ったら、体の力が抜けた。自分を肯定できた。

 

だから飽き性は、天性の才能だと思う。変える必要も、治す必要もない。ただそのまんま肯定して、波に身を任せればいい。

 

世界は全て完璧。